安保法制違憲訴訟原告陳述書

 

 

 

意 見 陳 述 書

 

 

 

原 告  前 田 裕 司

 

 

 

 

 

 「法の支配」が揺らいでいるのではないか。

 

 

 

安倍政権が強行した2015年の安保関連法の成立は、その思いを、確かなものとさせました。

 

 長年にわたり政府自身が堅持してきた「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」という見解を180度変更し、憲法改正の手続をとることなく、集団的自衛権の行使を容認する法律を成立させていく手法は、もはや、法治国家とは言えません。

 

 

 

私は弁護士として、刑事事件の弁護に力を注いできました。刑事弁護人の役割は、国家と対峙する被疑者・被告人の権利を擁護することにあります。権力の行為に異議を申立て、刑事手続における国家による人権侵害をチェックし、恣意的な身体拘束や不公平な刑罰を防止することにあります。

 

 

 

 そして、弁護人がそのような活動での国家への対抗の「よすが」とするのが、憲法であり、これを体現した刑事訴訟法です。さらに言えば、憲法が国家を縛る規範であるとする立憲主義の思想にほかなりません。

 

この立憲主義の考えこそが、弁護人の活動を成り立たせるものです。憲法・訴訟法に依拠して、国家に基本的人権を守らせていく、そこに弁護人の存在意義があります。

 

 

 

また、そのような弁護人の存在を容認すること、すなわち、対立する相手方である被疑者・被告人に、その援助者たる弁護人を国家自らが配置して、その活動を認めるという考えは、個人の権利を守るために、国家を縛る規範としての憲法が存在するという、立憲主義の考えに通ずるものです。

 

 

 

しかし、このような立憲主義を踏みにじって、安保関連法が制定されました。

 

 

 

その結果、既に、「駆けつけ警護」の役割を担った自衛隊が、南スーダンへ派遣されました。日本海でのアメリカ艦船を護衛する自衛隊の活動も始まっています。日本がいつでも戦争のできる国に変貌しつつあります。私たちが何よりも大切な価値としてきた、「平和のうちに生存する権利」が、危ういものとなっています。

 

 

 

わが国における「法の支配」が揺ぎ、その結果として「平和」が脅かされる。そのような状況を甘受しなければならないことは、法律家としての人生を否定されるに等しく、精神的苦痛以外の何物でもありません。

 

 

 

私が、このたび、原告の一人として訴訟の当事者になったのは、法律家として、一人の人間として、安倍政権が作り出した今日の状況を、とうてい認めることができないからです。

 

以 上